2008.07.04

裁判所よ、無法を許すな。民主主義を機能させるために!

 3日、寝屋川市の廃プラ処理施設に対する違法な公金支出の是非を問う裁判の判決が出た。原告住民の敗訴だった。常識で考えれば、どう転んでも住民勝訴の判決のはずだ。裁判所よ、いったいどうしたというのだ! 法治主義の使命を捨てた裁判所に、何の価値があるのか?

 1億円を超える公金の支出に、契約書がない。金額の根拠としては、寝屋川市宛の業者見積書しかない。物件引渡し書は、契約者の住所が異なる書類が2枚ある。ごくごく簡単に数行だけ記載された、必要事項の説明がまったくないもの。情報公開請求で公開されたものと、議会の決算特別委員会で追求されて、行政から提出された書類。2枚は明らかに異なる。どちらか、または双方とも偽の書類を作った疑いがある。何の物件をいくらで引き渡すか等、まったく書いてない急ごしらえの書類であるようにも見える。

 廃プラ処理は業者に随意契約で委託されており、委託契約書では、機器は業者が用意して委託を請け負う形だった。なのに、実際は委託料の中に設備機器の設置費用も含んで支払われていた。委託契約違反である。1億円を超える物権の取得にあたり、当然、議会の議決がいる。なのに、議会の議決は取らず、こっそりと違法な公金処理契約をしていた。
 数え上げればまだまだおかしなことだらけで、議会でも大きな問題になった。なのに、決算特別委員会では、多数の力で発言封じをして抑え込んだ。

 そして裁判までもが、この結末だ。

 結審の日に裁判官が3人とも全員入れ替わり、まったく事情を知らないかのような裁判官が、行政側を無罪放免したのだという。

 いったい、裁判所で、何が起きたのか? 
 なぜ、判決を目前にした結審の日に、3人の裁判官の総入れ替えが行われたのか?
 ここまで明確な証拠書類を全部揃えて、なぜ、敗訴なのか?
 
 この判決は、裁判所が法の番人であることを放棄したことを、世間に公表したことになる。
 行政は、契約書も作らずに、議会を無視して、なんの根拠もなく特定業者の言いなりに、密約で税金を支出しても違法ではないと宣言したのだ。裁判所の罪は大きい。

 それとも、裁判所の社会的信頼をどぶに捨てさせるほどの大きな力が働いたというのだろうか? 
 

2008.07.01

トラウマを理解する

 土、日と2日間の「DV被害者のファシリテーター養成講座」が終わった。「単なる心の傷つきとトラウマ」はどう違うか、自尊心とは何か等、理解する講座だった。多くの気づきがあった。知識として頭で理解するだけでなく、私の議会でのパワーハラスメントによるトラウマと重ね合わせて理解したことで、自分自身の心の回復に非常に役立った。

 いま、私は確信を持って言い切れる。あの異常な18年10月の決算特別委員会で、1日目に、深夜の1時まで引っ張り込んで、市民傍聴者を完全に閉め出した密室の審議のなかで、廃プラ処理施設関係の質疑を強行した日。私も行政側も資料を持っていない中で、無理やりに行わせられた質疑で、私は委員長から長時間にわたって精神的に重大なパワーハラスメントを受けた。
 
 その暴力は、私の自尊心をいちじるしく傷つけた。そして、私の議会制民主主義に対する信念と信頼を崩壊させるほどの衝撃を与えた。委員長は、議会の存在意義を根底から否定する審議運営を行った。多数会派の議員は、時間延長に同意したことで、その暴力に加担した。目撃させられた行政マンたちは、その場で信じられないような異常な審議目撃したが、誰も抗議できなかった。すでに彼等は、常に、精神的なコントロールを受けて無力化されていたから。

 その場に居合わせた人々の心理を、分析すると以上のようになる。

 「暴力を受けて傷つかない人など、誰もいない」と、講師が言った時、私の心は大きくうずいた。胸の奥底から涙がこみあげた。そう、あの時、私は深く、とても深く傷ついたのだ。でも、心の傷は目に見えない。誰も気づかない。本人さえも、気づきたくない。気づくことは自分の無力さを認めることになる。だから自分の傷つきを過小評価して、自分の感情を抑え、冷静なふりを装って、審議を継続した。いま振り返れば、あの時は、予期せぬ突然の暴力を受けて、自分の感情が混乱していたのだ。そして、審議を優先させるのが、私の責任だと思った。

 「トラウマの回復に時間は関係ない」と講師は言った。

 それも納得がいく。時間はまったく役にたたない。身体の傷つきは時間が経てば回復するけれど、心のトラウマは、時間が経っても回復しない。「トラウマを抱えこまされた暴力の実態とは何だったのか」に気づき、自分で癒すしかない。私の場合は、それが起きた原因と、その時に自分が感じた感情をそのまま認め、その時の周囲の人々の状況などを理解することで、自分が無理やり抑圧したためにトラウマになってしまった感情をほぐし、癒すことが必要だったのだ。

 もうすぐ、住民訴訟で争っている「廃プラ処理施設の裁判」の判決が出るという。この裁判と、あの決算特別委員会で、委員長がむきになって暴力をもって押さえ込んだ私の質疑・行政側の答弁の重要性の意味がわかる人は、そんなに多くないだろう。

 でも、私は、今、すべてがわかる。なぜ、彼がそうしたのか、そして、なぜ周りの議員や行政関係者がみんな、見て見ぬふりをしたのか。

 判決は7月3日に出るそうで、テレビでも放送されるらしい。力づくで隠そうとしても、いつか必ず明らかになるのが、人の世の道理となるべきだろう。

たとえ、誰が裁かずとも、天が裁く。

2008.06.29

暴力が起きる構造とは?

 DV被害者のサポーター養成講座や、ファシリテーター養成講座等に参加して、「暴力を使って人を支配する心理」や「被害者のトラウマ」について学び初めている。DVは恋人や夫婦等、親しいカップルの間で起きる暴力だけれど、パワーを使って、人をいかに支配するかということに、異常に固執することにおいて、権力を維持しようとする人たちと非常に共通しているものがあることに気づかされる。

 議会の常軌を逸した権力ゲームが起きる集団の病理が、いま、はっきりと私には観えるようになった。いじめ、セクシュアルハラスメント、パワーハラスメント等の暴力は、社会の差別、偏見、思い込みを土壌として成り立っている上下の力関係の下で、弱い未熟な精神を持つ人が、「強い」と思い込みたい自分の力を誇示するために、人を支配しようとするために起きるのだということが分かってくる。

 その暴力は、集団に所属する人たちすべてを巻き込む。傍観者は自己保身のため、見て見ぬふりをすることで、加害者に加担している。被害者を無視することで、被害者の孤立感を深めさせ、精神的打撃を深くするから。傍観者の良心はどこかでそれを感じている。その後ろめたさをごまかし、自らの正当性を主張するため、被害者非難を始める。「あの人にも問題がある」と。加害者は、本当は不安、自信のなさ、恐怖感等を抱え込んでいるが、それを自分で認める精神的強さがない。だから、ターゲットを見せしめ的に攻撃することによって、集団の成員を支配しようとする。

 社会は人が構成する。一人、ひとりの人の意識が今の社会の病理を作り出している。そのことに深く気づいていく作業はなかなか奥が深い。
 「わかるようになったからと言って、それがなんになるの?」と言う人もいるけれど、でも、わかるということは謎が解けるということで、私の心は晴れていく。傷ついた心、失った自信、人への信頼感を取り戻していく。回復していく。大事な大事な作業です。

2008.06.04

思わずうなった時代感覚

 先日、電車に乗って、ふと見た車内公告、「いつの間にか、愛ではなく、コリを育む家庭になっていた」というトクホンのコマーシャル。女性のつぶやきとして発信されているところがいい。
 うーん、うまい。すごい。さすがプロ。いや~、この感覚、いいですよね~。実に素直で正直。ほろ苦いビールのような味わいがありますね~。(笑) 
 これがコマーシャルになって、商売として成立するという時代感覚がすごいですよね~。フェミニズムじゃなくても、すでにここまで大衆的に実態が進んだということかしら? 

2008.05.30

木々と川と空と生き物たちに囲まれて

 今日、5日ぶりに大阪に帰ってきました。私の人生の学びの場に行って、5日間、自らを深く見つめる内観をしてきました。昨年も藤の花が咲いていた同じ時期に行きましたが、今年は思い切って5日間にしました。山は木々が命の輝きにあふれ、優しく私を抱きしめ、癒し、新たな人生の方向性を見つめさせてくれました。
私はやっぱり山里の風景が好き。緑が好き。 とてもとても豊かな気持ちになって帰ってきました。

 川の音、蛙の鳴き声、田植えを終えた田にはおたまじゃくし、空をあおいで岩の上に寝っころがれば、木々が空をまあるく囲み、さわやかな5月の風が頬をなでてささやくのです。「心で観なさい」って。木々の中で、根っころがて空を見たことありますか? ちょっと視点を変えただけで、まったく違った風景になります。

  ぴっかぴかに輝いている木々に囲まれて、人生の師からたくさんの気づきを与えていただけたら、誰だって感謝せずにいられないでしょう? 最高にぜいたくで貴重な時間でした。 ただただ感謝あるのみです。
 

2008.05.15

瀬戸内寂聴展に行って

 今日は高島屋で開かれていた瀬戸内寂聴展に友達と行ってきました。源氏物語の現代訳を書くことを決意したときのメモがノートに書かれていて、なんだか一番印象的でした。
 
 「1年に4000枚書くとして、1日に13枚と・・字」というような計算があり、毎日の生活の注意事項もありました。1.健康に気をつけるとして、散歩、ヨーガ、気功 と並んでいました。へ~、そうなんだ~。ビデオによると、1時間も散歩して健康を維持する努力をしてるんですって~。すごい。
 7まで注意事項があって、7.経済的につつましい生活をするというようなことも書いてあって、なんだか親近感を抱きますよね。

 21歳で見合い結婚し、5年後に「表向きは小説家になるから家を出してくださいと言って出たから、絶対に小説家にならないといけないと思って、やってきた。それが子どもを置いて家を出た私の夫との約束だと思った」と。

 85歳で、背中はしゃきっと、笑顔は可愛く、自分に正直に生きた人なんだなあと思いました。ほんとに感動的な展示内容でした。ずらりと並んだ著書、彼女の言葉、人が生きるということ。愛するということ。貫くということ・・・
命の限りに生きるということ。

 やはり感動できることは最高の幸せです。今日はとっても幸せな良い日でした。

2008.04.14

決意

 若い頃から、私の好きな聖書の言葉に、「求めよ、さらば与えられん、叩けよ、さらば開かれん」という言葉があります。真実を求める心、人として可能な限り成長したいと願う心は、誰の中にもあると思います。それを持ち続けることはなかなか難しい。それを表現することはもっと難しい。

 でも、自分にとっての真実、社会にとっての真実、自分の可能性を開く道を求め続けたいという気持ちがある限り、私はプライドを持って生きられると思います。

 知らないことを知っていく喜び、わからなかったことがストンと理解できたときの喜び、人と心が深く触れ合った時の喜び、自然の美しさを深く味わえるようになった自分の成長の喜び、さまざまな喜びがあります。人生は山あり、谷あり、いろいろなドラマがあるからこそ楽しい。その景色を楽しめるゆとりをもちたい。

 人目にどうみえようとかまわない。私は今、自縛のきゅうくつな枠を壊し、すべての恨みつらみを捨て、たとえ遅々たる歩みでも、新しい自分を育てていこうと決意しました。

2008.03.28

心の病の底にあるもの

 すごい本に出会った。加藤諦三さんの「心の休ませ方 40のヒント」という本だ。とにかく「お見事 ! 」としか言いようがない。「人が心が病む」ということの底辺に何があるかを、ここまで簡潔に、わかりやすく書けるというのがすごい。本屋で何気なく手にとった可愛い装丁の本。とても70歳の著者が書いたとは思えない、若者向けの装丁がまたいい。私もうっかりと手にとってしまった。(笑)

 私の友にも心がぼろぼろに疲れ果てた人が何人かいる。彼、彼女らの心の傷つきようは、私などの及びもつかない深いもので、私はなんとか前向きに考えられるように手助けができないものかと試みてきた。けれど、どうしようもなかった。それがなぜなのかが、この本を読むと、とてもよくわかる。

 私もピュアでまっすぐな性格ゆえに、挫折だらけの人生を送ってきた。でも、この本を読んでわかったことは、私は「普通の人」だったのだ。だから、外敵と戦って深く傷ついても、反撃もできれば、逃げることもできる。一時的に深く傷ついても、自分を死に至る病に追い込まないだけのレベルで踏みとどまり、いつか必ず、何かを掴んで立ち上がれるという、自分への信頼がある。だからこそ、頑張れる。踏みとどまれる。

 なぜ自分の生命力を削りとるものから、逃げることもせず、不幸の中にとどまり続けるのか。普通の人である私には、その理由がどうしてもわからなかった。

 この本はその謎解きをしてくれる。すべての人間の不幸の根っこにあるもの。すべての人間が求めてやまないものとは何か? 答えは本を読んでのお楽しみ。

 美空ひばりの「愛さんさん」という歌に、「人は可愛い、可愛いものですね~♪」という歌詞がありますよね。私もこの本を読んで、つくづくと、人は愛おしいものだと思いました。そして、普通の人が、心の病を理解するには、通訳がいるのだと思いました。

 でも、普通の人も、心の病の時限爆弾を作り続けている可能性はあります。それは日々、根雪のように降り積もるものらしい。だからこそ、病を抱える人たちを理解し、彼等の病の根っこを見つめ、寄り添ってあげることは、自分をも助ける道かもしれません。

2008.03.23

心機一転

 今日は、新しい名刺をパソコンで印刷しました。新しい名刺を作ると、なんだかやる気が出てきて、嬉しくなりました。肩書きはフリーライター。地方自治関係と、女性活動の支援記事が書けるライターを目指します。まずは現場の勉強から始めねばなりません。
 先日は、神戸市にいきました。女性の支援活動をやっている友達にくっついて、4ヶ所くらいを廻って、実態をそれとなくウオッチングしてきました。間で時間が空いたので、ついでに神戸市議会の開催状況をチェックすると、ちょうど文教、経済委員会が開かれていたので、傍聴に。ちょうど、知り合いの井坂市議が出席していたので、興味を持って見ていたら、市民派らしい良い質問をしていました。
 神戸市は、神戸ワインの事業の赤字補填に20億円も出すそうです。「それが行政のやるべき仕事なのか? どういう事態になったら撤退をきめるのか? 」というような質問でした。その点に関しては、他の議員は何も質問せず。こうして、傍聴していると、やはり市民派議員の存在は貴重なのだということがとてもよくわかります。彼がもし、存在しなければ、傍聴者には何が問題なのかがさっぱりわからないでしょう。

 ついでに論及するなら、東京都は、新銀行東京の赤字補填に400億円の追加出資をすることに、自民;公明が賛成する見込みらしい。行政の無責任体制の体質でもって収益事業に手を出すと、誰も責任を取らないので、止められないことになる、という見本をさらしています。幸いなことに、この場合は、石原都知事が始めたという責任が非常にはっきりとわかるし、彼のこれまでのワンマン的やり方手法から言うと、責任の所在は疑うべくもありません。都民は、次の選挙で、責任を取らせることがきわめて容易です。

 行政がやるべき事業とは何なのか? 税金でやるべきこととは何なのか? を いまこそ、厳しく問わねばなりません。
 
  
 
 

2008.03.20

好きこそものの上手なれ

 昨年の12月、54歳になってヒアリングに挑戦しているけれど、覚えられない単語に出会うたび、「英語学習だけは時期を失したと思う」と書きました。そう思いながらも、どうしてもヒアリングのCDを聞いてしまう私がいて、「なぜあきらめられないんだろう。何だろう? この魅力は?」と思っていたのです。どうしてもあきらめられなかった。

 教材のレベルが高すぎてついていけないのだと気付いて、初心者、中級者用の本を買って、シャドーイングと、デクテーションに取り組んでみました。声を出すこと、聞き取ったことを書き写すことを続けてやってみると、結構、聞き取れることに気付いたのです。お調子者の私はすっかり気を良くして、自信を取り戻し、再度、元の難しい教材に取組んでいます。不思議や不思議、確かにワンステップ聞き取り力がアップしているではありませんか~。感動です。

 昔、子どもだった頃、「雪舟は、絵ばかり描いているのでお寺の和尚さんに叱られて柱に縛り付けられても、泣いて廊下にこぼれ落ちた涙で絵を描きました」というお話を聞いて、とても印象的でした。好きなことは辞められない、止めようとしても止まらないのだということを、知りました。
 私も似たところがあって、知りたい、やりたいと思うと、どうしても止められない時がありますね~。今、私はまた、未知の道を求めて、走り初めています。英語もその一つ。自分が本当にやりたいことは何なのか、できることは何なのか? 霧の中を、手探りで。

 でも、確信はあるのです。自分に正直にやりたいことをやり続ければ、必ず、その先に道は開けると。なぜって、そうやって今日までを生きてきたのですから。楽観的に努力する。これぞ、私の強みです。

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