昨晩は、BSジャパンで放送された「母たちの村」を見た。アフリカのセネガルでは、女子割礼が行われている。女性の性器切除を行うという無茶苦茶な児童虐待を、「イスラム教の教えが求めている」と言って強制している。小さな女の子たちが、恐怖にかられて助けを求めて逃げ込んだのは、娘に割礼を施さなかった女性の所。その女性が村の強制的な伝統と闘う中で、周りの女性たちや、男性たちが間違いに気づいていく物語だ。
カッターナイフのようなもので行うので、ひどい時には、死亡する。その女性も姉たちを死亡させてしまい、最後に生まれた女児だけは守ることができた。だから、絶対に後には引かない。
女の子がラジオを聞いて、イスラム教国でも、そんな伝統的強制が、他の地域では行われていないことを知って反抗的な言葉を吐くようになったと思った村長や長老たちは、女たちからラジオを取り上げて広場に集めて焼いてしまう。女たちを無知に閉じ込めておきたいという男たち。
人の思い込みが、時としてどれほど残酷なことを強いることがあるか。それが宗教や、村、国等の風習や慣習となれば、枠外にいる人から見れば、命を奪う高リスクの人権侵害であっても、なかなか改めさせることは難しい。アフリカのことではないか、と思うなかれ。
日本だって、女性たちの人身売買が横行しているし、先進国と言われている国だって児童の臓器売買が深刻な問題になっているという。振り返れば、「援助交際」などという造語をつくってまで、買春に伴うやましさを薄めようとしている男文化。言葉の汚染は見る目を曇らせる。心を腐らせる。
学校教育で、現場の教師たちがまともな性教育を実践すれば、早速に「性教育バッシング」を国会で女性議員にやらせ、全国の教育委員会に自民党が調査書を送って圧力をかけ、「ジェンダー」という言葉狩りをしたのを忘れてはいけない。寝屋川市の教育長も、かつて、私にいきようようと言い放った。「ジェンダーと言う言葉は使ってはいけないことになりましたよ」と。 女子たちに、世界の流れを教えずして、無知の世界に閉じ込めようとしていると言えないだろうか。
一方で、町中にあふれるポルノ雑誌やコミックマンガを通じて、女性を物化する非常に歪んだ性情報を野放しにして、何が青少年健全育成か? 男たちへの性情報の氾濫はどうしたことか。人権侵害もはなはだしい。まさに、本音とたてまえのダブルスタンダード。
日本の文化と政治のレベルはコンビニで一目瞭然、隠しようもないl。外国から来た人たちが、日本のコンビニと本屋さんに入って、わが目を疑い、びっくり仰天しているのを知らないのだろうか。沖縄に来たアメリカの軍人がレイプ事件を起すのも、こうした日本の文化が影響していないと断言できる人がいるだろうか。
ことほどさように、自分の国の文化と風景の異常さには、気がつかないものだ。国連の調査では、日本の女性の地位は、世界で54番目。民間の調査では91位の低さに位置している。日本女性の発言力の低さ、経済力の低さ、家に閉じ込め、無知のままに据え置こうとしているという点は一緒だと思う。少し、距離を持ってこの国を、女性の人権の視点を持って分析すれば、誰も「母たちの村」を笑って見られる人はいないはずだ。
裏返せば、女性の人権から、政治、文化を観ることができない人が多数を占めているからこそ、こんな社会がまかりとおると言える。まさに、「母たちの村」は、私たちの国に通じる。